組織と人:論語的、韓非子的考え①

仕事

組織で働いていると嫌なことばかりが目に付く

また、矛盾したことや理不尽なことも沢山ある

そんなときに自分の頭で悩んでいるより、先人の知恵を拝借した方が気持ちが楽になる

私の出会った先人は「韓非」さん

守屋淳さん著の「韓非子」から沢山ヒントを得ることが出来ました

自分自身の経験を交え、「韓非子」の教えを皆さんと共有したいと思います

人のあり方

【論語】三軍も師を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。
   (どんな大軍でも、その大将を虜にすることができる。しかし、いかにつまらない人間でも。その志を奪うことは出来ない。)

    ➡人間、志が重要だ

【韓非子】鱣は蛇に似、蚕は蠋に似る。人、蛇を見れば則ち驚駭し、蠋を見れば則ち毛起するも、漁者は鱣を持ち、婦人は蚕を拾う。利の在る所、皆賁諸と為る。
    (うなぎは蛇に似ているし、蚕はイモムシにそっくりだ。人は蛇を見れば飛び上がって驚き、イモムシを見ればぞっとして毛を逆立てる。それなのに、漁師はうなぎを素手でつかみ、女性は蚕を平気でつまみ上げる。利の在る所では、皆とんでもない勇者となる。)

     ➡しょせん人間は利益に目がくらむ

仕事をしていて、経験を積み、部下も従えるようになると、部下に対してどのような指導や教育をしていくかを考え、それを伝える場面に遭遇する。

そのとき、頼りがちなのは夢や志、情熱といった精神論に依存しがちになる。

大事なことは間違いないのだが、部下を成長させるためには精神論に依存していては成長せず、むしろ、精神的なストレスでダメになることが少なくない。

人はそんなに強くないし、自分は強くても、相手はそうではないということだ。

よって、論語で言うところの、”志が重要”ということをどういった場面で使用すればいいのか?考えものです。

一方、韓非子の言う、人は利益に目がくらむという教え。

同じような、似たような形をしたものであっても、利益が自分にもたらされるとなれば、火中の栗も拾えるということだ。

考え方を変えれば、利益がないと知ると貴重な蚕であっても簡単に捨てるだろう。

しかし、SDG’Sが叫ばれて久しい昨今では、この韓非子の考えは薄れていっている?のではないか
利益が無いとわかっても、利益のないモノを再生させたり、置換させたりして新たなモノに生まれ変わらせる技術が発展している時代
それとも、やはり人間の素の部分、本質は変わらないだろうか…

まとめ

志が重要だという考えは、自分だけに適用した方がよいだろう
利益に目がくらむという人間の本質は今の世にも適用しないのではないか?

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